琵琶湖に潮汐はあるか?

 琵琶湖博物館で水理・物理を担当していると、年に1回くらいのペースで潮汐に関する質問が来ます。 実際、琵琶湖に潮汐はあるんでしょうか?

そもそも「潮汐」って何?

 「月は地球のまわりを公転している」と理解している方が多いと思いますが、厳密には「月と地球は、全体の重心のまわりを公転している」と表現せねばなりません。 ただ、地球の方がかなり重いので、「全体の重心」は地球の中心からはかなりズレているものの、地球の中にあります(注1)。 つまり、月の公転につれて、地球も「その場でモゾモゾ動く」ような公転を起こすわけです。

 公転している以上は遠心力が作用しますが、この遠心力は月から受ける万有引力と釣り合います。 月に限らず、地球が太陽から受ける万有引力と太陽のまわりを公転するのに伴う遠心力も釣り合いますし、地球以外のどんな天体でも、公転に伴う遠心力(注2)と公転を支配する万有引力は釣り合います(注3)。

 しかし、ここで注意が必要なのは、遠心力と釣り合うのはあくまで「地球全体が月から受ける平均的な万有引力」であるということです。 万有引力は近いほど強く作用しますから、月に近い部分は強く引っ張られることになります。 逆に月から遠い部分は、遠心力の方が勝ってしまうので、差し引きでは月から遠ざかるように引っ張られることになります。 この「遠心力と釣り合わない部分」、言い換えると「全体が受ける平均的な万有引力からの差分」のことを「潮汐力(起潮力)」と呼び、この潮汐力によって起こる現象を「潮汐」と呼びます。

潮汐力の直接影響は無視できる

 さて、琵琶湖の湖水だって、もちろん潮汐力を受けています。 だから「琵琶湖に潮汐があるか」と問われれば、「存在することは間違い無い」と答えるしかありません。 ただ、それが目に見えないほど“僅か”なものであれば、「存在しないも同然」ですよね。

 純粋に理論的な考察として、宇宙空間に琵琶湖くらいの大きさの丸い水塊が浮いているとしてみましょう。 これが地球が受けているのと同じ潮汐力でどのくらい変形するか計算してみると、直径が琵琶湖の水平径100km程度の水塊で最大1cm程度、直径が琵琶湖の鉛直径100m程度の水塊だと最大0.01mm程度となります。 即ち、琵琶湖の湖水が潮汐力に直接影響されて水平方向に最大1cm、鉛直方向に最大0.01mm動く計算になります。 これでは観測できるハズがありませんね。

潮汐力の間接的な影響も馬鹿にならない

 ところで、同じ計算を地球と同じ大きさの丸い水塊に適用すると、最大78cmとなります(東海大学出版会「海洋物理III」p.121)。 しかし、実際の潮汐はもっと大きくなりますね。 これは地形の影響であると考えられています。

 地球から見ると、潮汐の原因となる太陽や月は(自転している地上から見た相対運動として)グルグル回っています。 従って、「満潮の点」や「干潮の点」は地上を高速移動しているわけで、海水が「干潮になりつつある地域」から「満潮になりつつある地域」へ向かって移動する必要が生じます。 個々の海水の移動は僅か(せいぜい数km)で良いのですが、隣の海水を押す圧力は玉突き式に高速に伝わることになります。 即ち、太陽や月と同じ方向に同じ速さで進もうとする波が発生しているわけです。

 しかし、陸地や海底地形が波の進行を妨害するので素直には波が進みません。 そして、行き所を失った波のエネルギーが岸に集中することになります。 あるいは、波がモタモタと(潮汐波や津波などは、浅い海では遅くなります)湾内を1周している間に次の潮汐波がやってきて波を強化する形になり、エネルギーが湾内に溜め込まれる形(「共鳴」あるいは「共振」と呼ばれる)になることもあります。 このようにして、潮差10m以上なんていう潮汐が発生したりします。

潮汐エネルギーを蓄積し得る「固有振動」の存在

 さて、琵琶湖では、このような潮汐力の間接的影響を受けた現象は発生し得るのでしょうか? 原理的には「絶対に無い」とは言い切れません。

 琵琶湖は外海にはつながっていませんから、外洋の広範囲の潮汐エネルギーが集ってくるということが無いという意味では、大きな現象は起こりにくそうに思われます。 また、地形的にも、波を大きく堰止めそうな島などは見当たりませんし、琵琶湖大橋のところの地峡にしても、潮汐力の直接の影響から較べると充分広いと言えそうです。

 ただ、少し気になるのは、琵琶湖には「数時間程度の周期の固有振動」がいろいろ存在することが知られているということです。 「固有振動」というのは、一定の大きさを持った部分に波が閉じ込めらるような形で振動する現象で、その周期はその部分(今の場合は琵琶湖)の大きさと波の伝播速度との関係で決まります。

 外からやってきた波動の周期が固有振動の周期に近い場合、やってきた波動のエネルギーが効果的に蓄積され、上述の「共鳴・共振」現象が起こりやすくなります。 エネルギーが効果的に蓄積されれば、元の波動よりも遥かに大きな現象が発生することも有り得ます。

 従って、潮汐現象に周期が近い固有振動が存在する以上、何らかの経路で入ってきた潮汐エネルギーを蓄積する可能性が無いとは言い切れないわけです。

潮汐現象の存在は観測確認できるか?

 理論的考察で「どちらとも言えない」以上は、観測確認するより他に方法がありません。 しかし、この観測確認というのも、必ずしも容易では無いのです。

 ある現象が「潮汐力の影響を受けた現象であるかどうか」を識別する最も有力な手がかりは「周期」です。 しかし、潮汐の周期は「ほぼ1日または半日で、それより僅かに長い」ので、「太陽による毎日の加熱が巡り巡って発生する日周期の現象」や、「日の出と日の入りの頃に発生する現象に起因する半日周期の現象」などとの区別が難しいのです。

 水位変動という形で現れる、いわゆる「海の潮汐」は、海岸で海を眺めていて最も顕著に見える現象です。 ですから、観測する際にも、潮汐以外の現象(例えば風の吹き寄せによる水位上昇など)をあまり深刻に考えなくても簡単に観測結果を分析できるのです(注4)。

 しかし、もっと大きな現象が沢山ある中に埋もれているかもしれない潮汐現象は、そう簡単には確認できません。 何か波らしき現象が発見されたとしましょう。 その場合、「何となく、このあたりが“波の山”っぽい」とかいうことは判明しても、「ここが“波の山”だ!」と1点を特定できないことが考えられます。 この場合、「波の周期」も「大体半日くらい」というような話になって、「潮汐周期」なのか「半日周期」なのか判断がつかなくなるのです。

 長期にわたって観測を続ければ、潮汐現象なら時刻が徐々にズレてくるので、それで「半日周期」や「日周期」との区別ができます。 しかし、その間に潮汐現象を埋もれさせる「もっと大きな現象」の状況も変化するでしょう。そうなると、時刻のズレを認識できるところまで現象を追跡できない可能性も高くなります。

結局、結論は?

 そういうわけで、琵琶湖の潮汐は「原理的にはあり得るが、確実にあるとは言えない。観測的にも否定も肯定も確実にはできない。」という、何とも歯切れの悪い結論になります。

 ただ、「海の潮汐のような“誰が見ても明白”な現象は存在しない」 ということだけは、ハッキリと言えます。

どんな観測事例があるか?

 少々後味が悪いので、とりあえず「どの程度の観測事例があるのか」ということはまとめておきましょう。 このような観測事例がもっと蓄積されれば、もう少し確実なことが言えるようになるかもしれません。

 バス釣り愛好者の間で「潮流」と呼ばれている現象が、沖島水道にあるそうです。 ただ、これが本当に潮汐力の影響を受けた現象であるかどうかは大いに疑問です。 半日周期の流れを「潮流」と表現している可能性が高そうですね。

 琵琶湖どころか、海においても、地元で「潮流」と呼ばれている流れをよく調べてみたら「潮汐現象」では無く、海陸風(昼に海から陸、夜に陸から海に向かって風が吹き、朝夕に凪が起こる現象)の影響を受けた流れだったという実例があるそうです。 日本周辺では、潮汐の小さい日本海沿岸でよくある話だそうで、琵琶湖にも「海陸風」ならぬ「湖陸風」が存在しますから、同じような流れが発生する可能性は充分にあります。

 滋賀大学などの古い観測データで、「潮汐ではないか」と思われる振動現象が見出されたこともあるようです。 これは、いわゆる「海の潮汐」のような水位変動ではなく、水面下10〜20mほどのところにある「躍層」(水温の異なる湖水が積み重なった間の境界層)が振動する「内部波」と呼ばれる現象です。 ただ、これも間違い無く「潮汐だ」と断定できるデータでは無かったようです。

 また、琵琶湖湖岸の地下水位に潮汐周期の現象が出た例があるようです。 しかしこれは「地球潮汐」(地球の固体部分全体が潮汐力を受けて変形する現象)の影響である可能性が高く、いわゆる「海の潮汐」とはメカニズムがかなり異なるものです。

謝辞

本ページをまとめるにあたって、下記の方より実際の観測例に関する情報をいただきました(敬称略/所属は本ページの初稿執筆当時)

注1

 地球の質量は月の約81倍あるので、全体の重心は地球と月の距離の1/82だけ地球の中心から離れた位置にあります。 ところが、地球の半径は月までの距離の約1/60なので、この重心は地表よりも地球の中心に近い位置にあるわけです。

注2

 厳密には「遠心力」という言葉は運動の円運動成分に伴って発生するものを指します。 一般的な天体運動を考える場合には「慣性力」と呼ばねばなりません(「遠心力」も「慣性力」の一種)が、知名度の低い用語なので本文では使用を避けました。

注3

 こういう説明をすると「釣り合うのなら、万有引力は何の作用も及ぼさないのか」と思い違いする人が出てくるのですが、そうではありません。 「遠心力(慣性力)」というのは、運動している物体(今の場合は地球)上で物体と一緒に運動している観測者が感じる力です。 この観測者から見れば、万有引力が遠心力と釣り合っているので、地球は(自分から見れば)動かないということになります。

 これを宇宙空間で静止している観測者から見れば、「遠心力」などというものは存在しておらず、単に天体が万有引力で引っ張られているだけということになります。 当然ながら、この立場に立って「遠心力」という考え方を使わずに「潮汐力とは何か」を説明する方法もあるのですが、ここでは、「遠心力」を利用した方が理解しやすいと考えてこのような説明にしました。

専門的補足

 遠心力(慣性力)を介在させると、即ち「地球と一緒に公転している座標系」で考えると理解しやすくなる理由は、「力や運動のベクトル分解」を明示的に意識することを避けられるからです。 慣性系(宇宙空間)で潮汐現象を記述しようとすると「平均からの差分」を直接的に数式として理解する必要があり、それは具体的には「ベクトル分解」になります。 それに対して、「地球と一緒に公転している座標系」を利用すれば、「平均の運動」はゼロになるので「わざわざ分解」する必要が無くなります。 そして、「平均の力」は遠心力と釣り合うので、力のベクトル分解は遠心力とのバランスの問題に置き換えられてしまいます。 つまり、見かけ上「ベクトル分解」が消えてしまうのです。

注4

 一般には、検潮記録(海と管でつながっている井戸の水位を計測することにより、風波の影響など短周期現象が除去されるように工夫された、海水位の観測記録)に、「気圧が下がると海水が吸上げられる」効果だけ補正すれば、概ね「潮汐現象だけ」になるとされています。 流れについても、潮流が支配的な海域というのは、ごく普通に存在します。




2000年10月3日初稿/2012年4月27日最終改訂

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