展示

B展示室:人と琵琶湖の歴史

B4 水への取り組み

このコーナーでは、近代を中心に水をコントロールしようとした取り組みについて紹介します。 琵琶湖のまわりで生活しているひとびとは、琵琶湖の水をさまざまな形で利用してきました。 その水は米づくりや漁を通して豊かな恵みを与え、また、湖上を多くの物資が運ばれました。 また、さらに多くの人が琵琶湖を利用できるようなことも考えられました。 それは北陸の物資を京都や大阪へ運ぶために日本海の敦賀から琵琶湖へ通じる運河計画であり、琵琶湖と京都を結ぶ琵琶湖疏水です。 特に疏水は、都が東京へ移って衰退した京都を復興するための重要な役割を果しました。

その一方で琵琶湖の周辺の人々は、昔から洪水に悩まされ、さまざまな取り組みをしてきました。 瀬田川をさらえて洪水を流しやすくし、南郷洗堰を設けて琵琶湖の水位を調節することを考えました。 また、オランダ堰堤をはじめとする砂防工事が、田上山一帯からの土砂の流出を防ぐために行われました。

B4-1 治水・利水への取り組み

B4-1-1 水利用の工夫

湖のまわりでは、水を利用するためのさまざまな工夫がなされました。 用水路、運河、ため池、井戸が掘られ、堰が築かれ、水をくみ上げる道具もいろいろと工夫されました。

【四角い横板形式の井戸】 草津市中畑遺跡から出土した奈良時代の木製井戸枠です。横方向に板を組み上げた四角い井戸は、板を縦にしたものより手間がかかります。古代から中世にかけての上等な井戸の形式です。

【ゴイ】川から水田に水をかきあげる道具です。 水田から川へ斜めに渡し、川の水に浸けた部分からまさに手作業で水をかきあげます。 より効率よく水をあげることのできた竜尾車、水車なども展示しています。

【ミズモチションボケ】 夏の水涸れのときなどに、畑に水をまく道具です。 桶に水をくみ、天秤棒でかついで水やりをします。 桶の底には穴があけられ、その蓋につながった棒を両手で操作して、穴からでる水の量を調節します。江戸時代からつかわれていましたが、ポンプが登場してすたれました。


B4-1-2 治水への取り組み

琵琶湖の洪水は水込みと呼ばれ、湖の水位が上昇して沿岸にあふれだすものです。 その原因の第一は、流れ出る川が瀬田川だけであること、さらに田上山系から運ばれた土砂が瀬田川やその下流にたまり、水の流れをわるくしていたことです。この水込みの被害をなくすため江戸時代以降、何回も川ざらえがおこなわれるとともに、琵琶湖に流れこむ川の上流での川の砂防工事やもろい山肌への植林がおこなわれてきました。

1896(明治29)年の大洪水のあと、瀬田川の本格的な川ざらえとあわせて、南郷洗堰が1905(明治38)年に完成し、琵琶湖の水位を調節することができるようになりました。南郷洗堰は、いまの瀬田川洗堰のすぐ上流にその一部が残されています。

【明治29年大洪水】 1896(明治29)年9月、琵琶湖沿岸地域は、1874(明治7)年に瀬田川の鳥居川量水標が設置されてから最大の洪水にみまわれました。 琵琶湖の水位は9月13日、琵琶湖の基準水位より3.76メートルも上昇し、琵琶湖の沿岸地域はほとんど浸水しました。 8カ月も水がひかなかったところもあったそうです。


B4-1-3 蒸気船の活躍から琵琶湖観光へ

蒸気船の活躍の後、道路や鉄道がしかれ、湖の上では琵琶湖観光がさかんになりました。 大正時代から昭和初期にかけての時代の観光の様子を再現した駅舎の待合い室で感じとってください。映像資料「蒸気船時代の琵琶湖」では当時の観光客や蒸気船の姿を楽しむことができます。 琵琶湖が新しい形で利用されるようになった時代の幕開けです。