展示

B展示室:人と琵琶湖の歴史

B3 湖に生きるひとびと

このコーナーでは琵琶湖の漁について紹介します。琵琶湖の豊かな資源を利用するために人びとは実にさまざまな道具や方法を発達させました。 このコーナーではその中の主なものについて紹介しています。さらに、漁をめぐる人びとの争いのなかからいろいろな約束ごとも定められました。 ひとびとが長年の間にうみだしたこれらの知恵は今でも地域の伝統の中に息づいているのです。

B3-1 湖と漁師

B3-1-1 漁場と漁業権

漁は湖で生きる人びとにとって大切な生業の一つでした。 漁師は季節によって、とる魚や取り方を変えます。 また、漁を安全に行うために、天気を予知したり様々な儀式も行いました。

漁をする権利を主張する人びとも古くから存在しました。 とりわけ、地の利を持つ堅田の漁師は有名です。 彼らは平安時代後期に、下鴨神社(京都)に供え物をすることとひきかえに湖上の自由通行権を認められ、 湖上全域を漁場としました。 しかし江戸時代の中ごろになると、あちこちの村と漁場をめぐって対立するようになり、 その特権が次第に制限されるようになりました。 こうした争いの記録は、いまなお多くの村にのこされています。

【漁師の家】 堅田の網元だった漁師の家を参考につくられています。 とくに、琵琶湖の漁師の家の特徴といったものはなく、それぞれの地域の農家と似たようなつくりです。 ここでは伝統的な近江の漁師のくらしやなりわいのようすを伝える資料を展示するステージとして利用しています。

B3-1-2 漁師のくらし

漁師は季節によって、とる魚やそのとり分を考えます。また、天候を前もって知ることは、漁のためにも、船の安全のためにも大切なことでした。

B3-2 琵琶湖の漁

B3-2-1 沖合の漁

湖の沖合では、小糸網漁や、おもに底にすむ魚を網でまいてとる沖曳漁が行われます。

B3-2-2 湖岸・内湖の漁

琵琶湖岸の漁を代表するのは、定置網漁法の一つであるエリ漁です。 また、竹やヨシでつくられたモンドリ、タツベ、ウエとよばれる 小さな仕掛けを用いた漁もよく見られます。

【エリのしくみ】 湖に突きでた傘状のエリは、いまも琵琶湖の風物詩になっています。 この模型は、その先の右半分を魚の動きとともにしめしています。 魚を罠へと誘う、こうした定置漁法は、琵琶湖では約1500年前から 知られ、日本だけでなく、中国や東南アジアでもみられます。 最近では、竹簾をつかう伝統的なエリから、簡単にたてられる 網エリにかわってきています。

【タモアミ】エリのツボにたまった魚を船上からすくい上げるための道具です。 ツボの底まで届くように柄は長く、竹で枠組みされた網の先は、底に沈められたツボイタの上を滑らせるため、平らな形に加工されています。

a 【オシアミ】水面上から魚をねらって上からかぶせるようにしてつかいます。 池のコイなどをねらうオオギも同じ要領で魚をとります。 こうした道具は、湖岸、内湖の水草地帯やため池などで農家が自給用の魚をとるためにつかいました。

b 【ハリブネ】琵琶湖の沖合いの伝統的な漁のひとつである延縄漁に主に使われたのが、堅田のハリブネです。 ハリコ漁(延縄漁、延糸漁、流し釣漁)に使う船という意味で、堅田の小番城の漁師は、この船に寝泊まりして漁をしました。 この漁に使う糸と針は、ハリカゴと呼ぶ篭に整理しておきます。

B3-2-3 川の漁

近江の川の漁の代表は、ヤナ(簗)です。古代には網代ともいわれました。上から見ると、直線でさえぎるものと弓形のものがあります。川をさえぎって魚を集めるもので、いまも姉川や安曇川で用いられています。

B3-2-4 琴湖の漁

ガリラヤ湖(現地名キネレット湖)はアジアの西の端にあり、現地名は琴湖を意味します。 ほぼ同じ緯度に位置する琵琶湖と琴湖は、規模は異なるものの形は似ており、 盆地のなかに位置して流れでる川も一本であるという共通性があります。 琵琶湖の姉妹湖といえるかもしれません。

琴湖のまわりには多くの遺跡が知られ、古くから漁も盛んにおこなわれました。 洪水と渇水に苦しんだ人びとは、湖の水位を調節するために水が流れでる部分にはダムを築きました。 交通路としても湖は重要でした。

琵琶湖と琴湖では、漁具や漁法にそっくりなものが知られ、それぞれの地域の中で はたした役割にも似たような部分がありました。 琵琶湖と琴湖は、歴史的に関係があったわけではありませんが、 湖辺の人類のたどる道筋に大差はなかったようです。

【琴湖と琵琶湖の比較】 ここでは、琵琶湖疏水とローマ時代の導水橋、南郷洗堰とデガニヤダム、 それぞれの湖での漁の様子、湖の幸のひとつフナズシとセントピーターズフィッシュ料理を写真で比較してみました。