展示

B展示室:人と琵琶湖の歴史

B1 共存の時代

このコーナーでは琵琶湖周辺の原始・古代の遺跡について紹介します。 琵琶湖の周辺には2万年以上も昔から人が生活していました。 ここには彼らが残した道具や食物が展示されています。 琵琶湖は少しずつその形をかえるため、昔の生活跡はしばしば水中から発見されます。 このため、琵琶湖は日本で最初の水中考古学のフィールドとなりました。 葛籠尾湖底遺跡の発見をきっかけに、新しい水中考古学の方法も開発されました。 水中に矢板をたてて遺跡を囲み、内側から水を抜き出す事で水中の遺跡を陸上の遺跡と同様の状況にしてしまう方法もその一つです。 この方法は実際に世界で最も大きな淡水貝塚である粟津貝塚で行われました。

粟津貝塚では、人々は主に採集狩猟の生活をしていましたが、その後、湖の周辺では豊かな環境を利用して米づくりが行われるようになります。 それに伴って社会はやがて階層化し、湖と川に対する領域支配も始まりました。

B0 世界の考古学者からのメッセージ

B展示室の入口には、プロローグ展示として、世界の8人の考古学者に、 「環境とは何か」「環境をどのようにとらえているか」というテーマでコメントをいただいています。 考古学の時代対象は、人類の出現から昨日までともいいます。 人間社会の歴史を評価するのに最も適した一人が、考古学者だと考えたからです。 日本人4人と海外の研究者4人のお考えをぜひお聞きください。

B1-1 琵琶湖の湖底遺跡

琵琶湖では100ヵ所以上の湖底遺跡や水没村伝承地が知られています。 こういった遺跡のほとんどは、水深がせいぜい2~3メートルの浅いところにあり、琵琶湖の水位変化や地殻変動で湖にしずんでしまった村などと考えられます。 近年の琵琶湖総合開発などにともなって、200地点をこえる湖中や湖岸の遺跡が発掘され、多くの成果をあげてきました。

B1-1-1 葛籠尾湖底遺跡の謎

葛籠尾湖底遺跡は、琵琶湖北端の葛籠尾崎という半島の沖合、水深数十メートルもの深い湖底にある有名な遺跡です。 縄文時代から平安時代にかけての数千年にもわたる長いあいだの遺物、それも土器だけが完全な形ででてくるのが特徴です。 こうしたことから、これらの遺物は偶然のこったのではなく、なんらかの意図をもってそこにのこされたと考えられています。

【縄文土器】葛籠尾湖底遺跡から漁師の網にかかって発見された土器の多くは、地元の東浅井郡湖北町尾上の公民館で大切に保管されています。 この土器は、滋賀県教育委員会がこの遺跡の性格を探るための調査を行った際に発見された縄文時代後期の土器です。 同時に平安時代の皿もいくつかみつかりました。

B1-1-2 湖底遺跡の調査と方法

琵琶湖の底には、100カ所にものぼる遺跡が沈んでいます。 最近まで、200地点以上の場所で発掘調査が行われ、さまざまな成果を得ることができました。 それらの成果とあわせて、琵琶湖の水中での調査方法は世界でも最高水準のものとなりました。


B1-2 祖先と湖のかかわり

B1-2-1 湖辺の縄文人のくらし

琵琶湖のまわりには、縄文時代のはじめ、おそくとも約9000年前から村があり、とくにいまの南湖のまわりにはたくさんの村が知られています。 ただ、貝塚をのこしているのは、南湖周辺の粟津貝塚、石山貝塚、蛍谷貝塚、滋賀里遺跡だけです。

展示室で発掘現場を再現した粟津貝塚は、縄文時代中期のはじめ、およそいまから5000年以上前の遺跡で、ここの人びとは秋に採集した木の実を基本に、湖の貝や魚、野山の獣類で食生活を補っていました。また、植物の栽培も行っていたようです。

湖のまわりの縄文人は、従来のわたしたちのイメージとはことなり、ゆたかな食生活と安定した定住生活を送っていたようで、漆加工された耳飾りや櫛、それに真珠なども発見されています。

【粟津貝塚】琵琶湖の南端、瀬田川の河口近くの水深2~3メートル付近にある粟津貝塚は、セタシジミを中心とする3ヵ所の貝塚からなり、世界最大の淡水貝塚といわれています。 1990(平成2)年から1991(平成3)年にかけて、第三貝塚の発掘調査が行われ、縄文時代中期の生活ぶりがあきらかになりました。

【ニホンジカの角】貝や木の実のほかに、湖ではコイやナマズ、スッポン、野山ではシカやイノシシ、サル、タヌキなどをとって食べていました。 コイやスッポンは今のものより相当大きかったようですが、シカなどは角からみて、いまのものとかわらなかったようです。

【植物遺体層上面】縄文人は、シジミばかり食べていたわけではありません。 野や山のドングリやトチ、ヒシの実を採集して、生活に必要なカロリーの大半はこれら植物からとっていました。 貝層はぎとり資料右側の土中の黒いつぶつぶは、全て縄文人の食べた植物の実や茎が炭化したものです。

【粟津貝塚の発掘調査】琵琶湖の湖底にある貝塚を発掘するために、調査地のまわりを二重の鉄の矢板で囲み、24時間、大きな水中ポンプでそのなかの水を排水しました。 こうすることによって陸上の遺跡と同じような発掘調査が可能となりました。

【貝層断面】展示されている貝塚は、発掘調査のときにはぎとった日本最大の立体貝層はぎとり資料で、もちろんすべて本物です。 この貝の77パーセントはセタシジミで、ほかにタニシやカラスガイ、タテボシなどがみられます。 セタシジミは平均3センチメートルぐらいあり、大きいものは4センチメートル以上あります。

B1-2-2 米つくりのはじまり
米作りの道具

いまから2千数百年前に、琵琶湖のまわりでも米づくりが始まりました。農耕と漁労のおかげで人々のくらしは安定し、今日の生活のもとを築きました。

B1-2-3 湖と川の支配と領域

米づくりがはじまり、ムラが安定すると、水や土地争いがおこります。 このあらそいのなかでムラの有力者は大きな力をもつようになり、湖上の交通を支配し、川の水を利用して水田をさらに広げました。