このページは,琵琶湖博物館の内部向けの8回連続講座としておこなった時に作ったテキストを,web用に再構成したものです.
内部向け講座について

第5回「日本列島の成立」

A展示室の場所:日本海の形成、東アジアの淡水魚のふるさと

図5-1 付加帯のイメージ.海洋プレートの沈み込みで大陸縁辺に付加されるため,陸側ほど古いものが分布する.

・)動かざる事山のごとし、ではない

 日本列島に限らず、地球上の多くの場所は一定の場所にとどまらず、変化し続けていることがプレートテクトニクス論からわかります。今ある日本列島も実は変化し続ける途中のようです。今の状態が昔から続いてきたという訳ではなく、もちろん、一人の人間が生きている間に、目に見えて変化し続けているという感じではありませんが、長い時間でみるとそれが進行していることがわかります。“祇園精舎の鐘のこえ”で始まる平家物語の中で出てくる”諸行無常”という言葉は、すべての物事は常ではない、という意味ですが、人の一生という時間で見た場合には変化していないように見える大地でも、実際には常に変化し続けていると言えます。
 日本列島は、もとから島としてあったわけではなく、もともとは大陸の一部だったものが、何らかの原因で大陸から離れ、大陸との間に日本海ができ、島の形になってきました。また、日本列島はその地盤のすべてが一様に大陸から離れてできている訳ではなく、もっと複雑な過程をへてきたと考えられています。例えば、今の伊豆半島は、もともとは本州の一部ではなく、後からくっついたものです。また、北海道はいくつかの部分が合わさって成り立っています。

・)日本列島の地盤を作るもの

 日本列島の地盤を作っている岩石は、プレートテクトニクス論や、滋賀県の山を作る岩石のなかでも説明した通り、火山に関係する岩石の他は(火山に関係するモノの一部も)、そのほとんどが、海の沖合から運ばれてきたものでできています。おさらいすると、海の沖合でたまった泥や大陸近くの海底にたまる砂、暖かい海でできる珊瑚礁でできた石灰岩などが、プレートに載ったまま大陸へと運ばれてきます。そのプレートが、大陸のプレートにぶち当たったところで大陸の下へ潜り込もうとするとき、プレートの上に乗っかっている泥、砂や石灰岩などは、プレートと同じように大陸の下に沈み込むのではなく、大陸の縁にぶち当たったまま、大陸の端へくっついていきます(付加する)。このようにしてできた岩石帯を、付加帯、と呼びますが、日本列島の地盤の大部分はこのような付加帯でできています。付加帯のでき方を考えると、大陸の外側へ(海側へ)と岩石がくっついていきますから、付加帯の岩石は大陸より外側、つまり太平洋側へ行くほど新しくできた岩石になっているはずです。事実、日本列島、特に西南日本(中部山岳地域より西側)の地盤を大まかにみると、より日本海側から太平洋側へ行くに従って新しくなっている事がわかっています。

図5-3 日本海の拡大が始まった頃は,海ではなくて細長い地溝帯が広がっていた(漸新世の終わり頃).
図5-2 日本海の拡大は始まっておらず,大陸縁辺部では火山活動が活発であった(白亜紀の終わり頃).

・)日本列島が列島でなかった頃

 日本列島ができる以前は、今の日本列島に当たる部分の大部分は大陸の一部を作っていました。滋賀の山を作る岩石のうち、花崗岩や湖東流紋岩類と呼ばれる、火山活動にともなう岩石は、まだ日本が大陸の一部だった頃の、白亜紀の終わり(恐竜の絶滅した時期)に大きなカルデラ火山の噴火やマグマの冷却によって作られたと考えられています。これらの岩石がつくられた時期を見ると、日本列島の他の地域にもほぼ同時期にできたとされる岩石があることから、まだ大陸の一部だった頃に、多くの地域で活発な火山活動が行われていたことがわかります。それらの火山は、大陸へ沈み込むプレートの沈み込み帯に平行に列をなしたように分布していたと思われます。現在の日本列島でも、プレートの沈み込み込む海溝とほぼ並行に火山列が並んでいることがわかります。白亜紀の終わり頃のこういった火山帯は、現在の地球上でいうと、北アメリカ大陸の西海岸にあるカスケード火山のような感じであったと思われます。

・)日本列島が島になり始める頃

 新生代第三紀漸新世の終わり頃にあたる2500万年前頃(鮎川層ができるより大分前)から、大陸の縁辺部が裂け始めました。大陸縁辺部が裂けてくるという現象は、ヒトの一生の間にさけてしまうというような速さではないので、突然海が入ってくる訳ではありません。裂け始めた頃は、さけているところが、はじめは広い範囲にわたって細長い陥没した場所を作ります。大陸の中で陥没した場所ができると、そこは、周りよりも低い場所になるため、細長い湖や、川で結ばれたいくつかの湖といった水系を作ります。東アジアの淡水魚のふるさとという展示では、ここでできた水系によって、現在の東アジア特有の淡水魚が生まれたとされています。現在の地球上でいうと、アフリカの大地溝帯の様な場所であったと考えられます。
 地溝帯は徐々に広がり、第三紀中新世の中頃にあたる1900万年前頃には、海が入ってくることによって日本列島となる部分が大陸から引き離されていきます。このころの様子は、現在の地球上でいうと、紅海のような感じであったと思われます。この頃から、現在の東北にあたる地域は陸域ではなく、ほとんどが海域になっています。
 現在の日本列島は弓なりに曲がっていますが、地溝帯が広がり、海が入ってきた頃は、まだ折れ曲がっていませんでした。地溝帯に海が入り、その後の1700万年前頃に日本海の海底に玄武岩質の溶岩が貫入してくることによって、日本海はさらに拡大します。このとき海底は一様に拡大せず、今の中部地域を中心として日本列島は逆“く”の字に曲がります。この折れ曲がりは約1500万年前の完了まで続きましたが、日本海の拡大終了時には、現在の折れ曲がりよりも曲がっていたと考えられています。また、今の東北に当たる部分は海域にあり、西南日本は陸域で、一部海域にあるという状態だったと思われます。鮎川層は、ちょうどこの日本海の拡大が進行中の海でたまった地層からなります。

図5-4 地溝帯に海が入り,日本海の拡大がさらに進む(中新世の半ば頃).

・)島化その後

 海域であった東北地域は陸化し、火山活動が盛んになり始めます。北海道にあたる部分は、千島列島にあたる部分がぶつかってくることによって、日高山脈を押し上げてきます。また、今の伊豆諸島が現在の位置に近づき、本州にぶつかってきます。伊豆諸島にあたる部分が本州にぶつかり続けることによって、本州の曲がりを少し押し戻していきます。100万年前には伊豆半島が本州にぶつかります。
 琉球列島の大陸側には、現在沖縄トラフという地溝帯があります。この地溝帯は200万年前頃から広がり始めましたが、これは現在も広がり始めていて、ちょうど日本海が広がり始めた頃と似ていると考えられています。この地溝帯は、九州の島原〜阿蘇〜別府へつながっているとも言われています。
 第四紀にはいって、本州は特に大きな変動をします。これは、東西方向の強い圧縮を受けているためと言われており、本州の山岳地域の多くは(中部山岳地域も例に漏れません)、第四紀にできたと言われます。現在の琵琶湖周辺地域にも東西圧縮の力が掛かっていると言われています。

図5-5 日本海の拡大がほぼ終了する(中新世の中頃).
図5-6 伊豆半島の衝突など,現在のような列島に近づく(第四紀).



 ここで使用している図は,内容を理解しやすいように平(1990)の図をかなり簡略化させて作成したイメージ図です.研究に基づいたきちんとした図は平(1990)を参照して下さい.また,ここで述べた内容の多くは平(1990)を参考にしています.何故そう考えられるのか?やどうやって考えたのか?についてもそちらを参照して下さい.特にこの内容でレポートを書こうとしている学生諸氏は,必ず読んでね.間違っても,コピー&ペーストしないように.


(参考図書)
平 朝彦(1990)日本列島の誕生.岩波新書,226p.
沓掛俊夫(1995)地球史入門.産業図書,173p.

地学講座:第5回「日本列島の成立」
2003年2月19日(水)
(c) satoguchi




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