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館長対談

真・善・美は一体

文化のあらゆるものが自然を忘れてはいけない。
そこから学ぶ姿勢を持つ。     ――平山郁夫

琵琶湖博物館館長
川那部 浩哉
かわなべ・ひろや

日本画家
平山 郁夫
ひらやま・いくお

1930年、広島県豊田郡瀬戸田北町(生口島)生まれ。日本画家。東京芸術大学学長を経て、現在芸術研究振興財団理事長・日本育英会会長など。

おのおのさまざまに考える。
それが大原則なのではないかと思っています。

     ――川那部浩哉


嘉田■一九九八年春に、守山市の琵琶湖畔に佐川美術館が開館しました。ここには、平山郁夫さんの絵画と佐藤忠良さんの彫刻が展示されています。今回は、その平山さんに対談をお願いしました。

不自由の中の自由(極限状態だった少年期)

嘉田■平山さんと館長は、ともに昭和一桁の生まれです。この世代は少年期に、価値観の大きな転換を迫られたわけで、逆にそのぶん創造性も高いのではないか、などと想像しているのですが…。その頃の経験を先ず伺わせて下さい。

平山■島の小学校へあがったのが昭和十二年、つまり日中戦争の始まった年ですね。中学は広島へ出て、二年の秋から勤労動員に行かされ、三年の時に被爆したのです。動員で行った陸軍の兵器廠しょうも印象深く、今から考えると、そこの兵隊は大学出たての二十三〜四歳です。われわれを見て「こんなことをさせられて、かわいそうだな」などと言う。将校にも「英語の本を持ってこい」と、兵器の陰で勉強を教えてくれた人もありました。そして各地で玉砕があって、もうだめだと、おぼろげながら感じたものです。

 絵が好きでしたから、描いていると腹の空いたのも忘れる。運命的に死ななければならないというたいへんに不自由な中で、僅かな時間に自分の自由を見出す。不自由の中の自由なんですよ。極限に追いつめられるほど、自分の頭は最高の状態を求める。何でも出来るっていうのは却って不自由な世界なんですね。

川那部■平山さんより二年歳下なので、全体としては似ているが、全く違うところもありますね。秋から勤労動員に行く直前に敗戦になったのです。京都生まれの京都育ちですから、大空襲も経験がない。ただ、五条にあった自宅の寺が強制疎開に会い、三日間の猶予で立ち退かされ、軍隊の手で取り壊されます。小学六年の三月のことで、母一人子一人の家でしたから、それはたいへんでした。しかしその時は、悲しみも怒りもないんですね。どうしたら良いかを瞬間瞬間に考えて、実行するだけです。誰といっしょにどうするかではなくて、自分一人でしなければという感じですね。

平山■物作りは、空間もない、自由もない、すべて奪われた世界の中で自分を自由にしていく過程でもあります。時間も制限されているから、その覚悟をしながら、自分でいかに自分を納得させるかです。最後は手に、「昭和二十年何月何日」と書き付けました。死んでしまった場合、こういう私がいたという証拠を残したいわけですね。それが私の原点です。だから今も、団体行動が苦手です。何でも自分でやる。一人でやる。

川那部■いい意味でも悪い意味でもそうですね。誰かと競争して勝とうという気もない。自分の納得することをやる。周りはいくらか迷惑でしょう。

嘉田■いくらかなどではありません。大いに迷惑しています。(笑)

美術館・博物館では「試み」が大切

嘉田■文化財の保護活動などもやっておられますが、美術館や博物館は、社会的に何を期待されているんでしょうか?

平山■琵琶湖博物館はこの湖の生態系を通じて、自然と人間との関わり合いの原則を、自分でいろいろ探り出せるようになっていると、先日見て思いました。日本の場合はこれまで、既成の知識を買ってきて、少し加工して出す、見る人もただ受け止める、というやりかたでした。本当に基礎的な理論・原則は、日本発のものとして構築しなくてはいけない時期だし、そのようなものとして、博物館や美術館の役割は大きいわけです。

 今やっている「文化財赤十字」は、民族や時代にかかわらず、優れたものは人類の遺産として守ろうという考えです。作られてしまった単なる「もの」ではなく、人間性というか、それを作り、その後そこに住んでいる人もあわせて。

川那部■佐川美術館の作品もまさにそうですが、平山さんは、いつも試みておられますね。有名な大作だけからは判らないような、いろんなお考えが見えて、短時間でしたが、驚きながら楽しく過ごさせて貰いました。

 先ほどのお話もそうだったけれど、一人一人はばらばらでないといけない。自分で納得してそうすると、そこではじめて、いっしょになっていく。生物どうしの関係もそうだし、それと人間との関係もそうだと思います。ばらばらだから、長い時間をかけて作り上げてきているのだと。うちの博物館も、見に来た人が、おのおのさまざまに考える。それが大原則なのではないかと思っています。

平山■琵琶湖博物館も、いろいろな試みがなされていますね。一つ一つが自由に。個性と言うのは、何も勝手にやることじゃない。創造的精神は、原理原則を自分で発見すること。外れても構わない、自分でこうやりたいという意志や、求めていく気持ちを一生持ち続けられれば、たとえ失敗しても時間がかかっても、何かを生み出して行くのです。卒業のときに、「何も教えてくれなかったですね」と言った学生がいたけれど、それしかしようがないのです。

嘉田■それは芸術も科学も共通ですね。

環境が育てる考える子ども

嘉田■今の世代の子どもたちを、どう見ておられますか?

平山■人間の精神や心が形成される時に役立つのは、緊張感です。それも、物理的力が外から、直接にかかっての緊張感ではなくて、無風状態の中での緊張感ですね。船だったら、そのうち水も食べ物も尽きて死んじゃいますから、何とかして動かそうと考える。結局、どんな環境でもじっとしていたら腐るというか、淀むというか、だから自ら環境を変えて行かないといけない。こういう、どんな場所でも適応性が出てくるのが活力で、これは、学校で先生が教えてくれるというんじゃなくて、やっぱり自分が作っていくんです。自分で考える。これは子供の頃の幼児教育、親の教育でしょうね。

嘉田■現代という「幸せな時代」が、生きる力を子供から奪ってしまった、ということでしょうか。

平山■教わったことしか出来ないわけです。ものを考えたり、何かを飛躍的に発想するひらめきがなかなか生まれない。幼児期で大切なのは環境ですね。特に記憶が残らない時代の環境。子供が自主的に興味をもつような絵本を置いたり、素材を与えて何に興味を持つか、子供の感性を観察する。そういう遊びを介しての、親の教育です。私の場合なら瀬戸内海の四季の移り変わりを見たり……。色とか質感とか発想とか、そういう幼児期の体験が今に影響している。

川那部■私は二才半のときから母と二人だけでしたから、特にそうだったのかも知れませんが、幼児期の環境に、家族だけでなくて、いろいろな周りの人たちの存在が大きいですね。子どもどうしの関係も重要だった気がします。「がき大将」がいたりね。よく苛められたけれども、別の子がやり過ぎると、諌めたりもしてくれていました。そういう、子供同士の環境が希薄になって来ていますし、それに、取り込んで遊ぶ周りの自然が、ほとんどなくなったのが大きい問題ですね。いや、田舎でも、自然と関係した遊びが少なくなっている。

平山■私も、周囲の環境を見て育ちました。潮の流れを見て、東へ行けば満ち潮、西へ行けば引き潮とかね。そのうちに、満月のあとは満潮の水位が高いなどということに気がついて、月といろんなものとは関係があることが判る。海に潜ると、水圧のことや魚の色やいろいろありますね。子供でもやっぱり考えるわけです。なぜか、なぜか、という疑問がいっぱい湧いてくる。そしてどうしても外へ行きたいという気持ちが生じて、島から外へ出る。そこで道はどこへでも通じているんだと体験する。それをいわば、三十年後に実現していったんです。行き先が砂漠になったりね。

川那部■ヨーロッパにしてもシルクロードにしても、そこに住んでいる人々が、やっぱり違うと実感されて来るわけですね。ひょっとすると子どもの眼ででしょうか。(笑) そこでまた…。

平山■興味が出てくるわけです。子どものときから、漁師さんや大工さんやミカン作りの人の話を聞くのが好きだったし、じっと眺めているのもね。潜水夫が潜るとかはほんとうに興味津々で、目を皿のようにして見ていました。島だから、自動車なんか一台もなく、焼き玉エンジンの巡航船が着くと、重油が文明の臭いでした。

嘉田■それが、今も続いておられる。

真善美は一体

嘉田■最後に世紀末ということで、次の世代に伝えなければいけないというようなことを一言、ございましたら何か。

川那部■そう言うのは、いちばん苦手なのですがね(笑)。 私が子どもの頃は、例えば美術全集でも、ほんの二〜三ページがカラーで、原色図版といいましたが、あとは白黒でした。それでも、自宅にあったのを何度も、食い入るように眺めていました。西洋美術の本物を見るなどは、思いもかけないわけですから、それへの憧れですね。

 佐川美術館へ伺って、作品に感動するとともに、もう一つ、シルクロードへ憧れました。私が伺ったときは、残念ながら、子どもの観客はいなかったようでしたが、本物のすばらしさに打たれるとともに、別の憧れをいざなうものになっているのですがね。いろんなものが今は、ありすぎるんでしょうか(笑)。

平山■広島の生家に、「瀬戸田町立平山郁夫美術館」と言うのを作ってあるんです。この島の子どもは、ペーパーテストで学力をみれば、都会の子どもに圧倒的に負けますが、自然という天から与えられたものがある。自然を感じる心を子ども時代に身につけていると、徐々に速力が増してきて距離が出るものです。政治や経済、あらゆる分野についても、やはり自然を観察して、そこから感じることが大切です。宗教にしても科学にしても、文化のあらゆるものが自然を忘れてはいけない。そこから学ぶ姿勢を持ってる。そういうことをわかってもらおうとした美術館なんですよ。

川那部■それはぜひ一度、伺いたいですね。

平山■真・善・美は一体なんです。今の時代は、それがバラバラにされています。バランスのとれた、真・善・美、知・情・意、こう言う人間の最低限の心を学べるような、初等教育・中等教育があれば良くなると思うんです。科学技術でも優れたものは美しいんですよ。飛行機でも船でも。

川那部■ほんとにそうですね。琵琶湖博物館もそうなりたいのですが、美しさはちょっと足りないかな(笑)。

平山■いや、なかなかのものです。魚の生態にしても、生きて行くのは美しいんですよ。すべてのバランスをとらなきゃ生きてはいけない。死ねば汚い。だから、自然とともにすばらしい世の中を作っていく、共存共栄が必要なのです。

嘉田■今日はどうもありがとうございました。

司会…嘉田 由紀子

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