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館長対談

湖北の鳥と湖と

川那部浩哉
琵琶湖博物館 館長

清水幸男さん
琵琶湖水鳥・湿地センター、湖北野鳥センター 専門員

亀田佳代子
琵琶湖博物館 学芸技師


 冬の渡り鳥の飛来地として知られる湖北町の琵琶湖岸には水鳥の観察施設・湖北野鳥センターがありますが、そこに隣接して昨年5月、琵琶湖水鳥・湿地センターがオープンしました。これは、1993年に琵琶湖がラムサール条約登録湿地となったことから、水鳥の保護と湿地の保全推進を目的として開設された施設です。今回は、両センターの専門員で、子供時代から地元で鳥に接してきた清水幸男さんにお話をうかがいました。

「鳥で飯を食う」に至るまで

川那部■清水さんは、どのようにして鳥の仕事に入られたのですか。

清水■「どこの大学を出たか」と良く聞かれますが、答えは「小谷山大学」です。(笑) 湖北町の東端には、戦国時代に浅井長政で知られた小谷おだに山があるんですが、その奥で生まれ育ったんです。

 子どもの頃から、虫や魚をなぶってばっかりいまして。鳥に関わったのは、伝書バトを飼うことからですね、十羽ぐらいにまでして。それが雪のたくさん降った朝、小学六年生でしたが、餌をやりにいったら、全部首を引きちぎられていて。イタチでしょうが、ショックでした。生きもの全般、「飼うもんではない」というのが、今もあります。

 中学へ入ると、もう一人鳥好きの奴がいて、「二人で独学」いうのもおかしいけど(笑)、山とか歩き回りました。高校へ入ると、鳥より面白いと思えたものがいっぱいあって、二十二〜三才頃までは、ちょっと一服でした。その後野鳥の会へ入ったり、観察会に参加したりして。

 十五〜六年ぐらい前から、行政も観察会などに力を入れるようになって、「湖北野鳥センター」ができることになりました。計画のときから、図面とか見せて貰ったりしてたんですけど、自然保護課の担当者が理解のある人で、私がたしか六十項目ぐらい、「こうすべきや」というのを書いて渡したら、設計をやり直してくれはって。だからこの施設も、自分で作った感じです。鳥の基礎調査も、県から委託されてやったんで、ずっと関わってきたという印象があります。

 「琵琶湖水鳥・湿地センター」のほうも昨年開館することになって。それまで機械関係の会社に勤めてたんですが、どうしても来いということになったんです。研修会などではいつもいうんです。「僕は滋賀県で二番目の、『鳥で飯を食うてる人間』です」って。(笑)

 一番目はこの亀田さんで、数か月早い。(笑)

 まあ、日本全国でも自然系の分野では、こういう専門職はほとんどない。ですからモデルケースやなと思ってるんです。

気になる琵琶湖の主、

オオヒシクイ

川那部■このあたりでは、何種ぐらいの鳥が見られるんですか?

清水■この九年の間に、この野鳥センターから見られた鳥は一四五種類です。湖岸沿いに南へ二キロ半が「湖北町水鳥公園」ですが、ここでは一七五種類になり、渡りの途中でこの辺を通過していく鳥が、結構いるということです。滋賀県全体で二九〇種類ですから、このわずかの範囲でその六割が見られるんです。

 その中でオオヒシクイが、いちばん気になる鳥なんです。

川那部■どういう意味でですか?

清水■コハクチョウは、人に馴れるんです。琵琶湖に来はじめたのは昭和四十六年ですが、その翌年から増えて、今年は二八五羽です。湖北に八割から八割五分、湖西で一割から一割五分。それから草津でちょこっと。

亀田■草津あたりで、今年は一八羽ですね。去年は毎朝、志那の漁港の近くだけにいたのですが、今年は赤野井湾のハスの辺りなどにも、よく来ています。

清水■ところが、天然記念物のオオヒシクイは、体の大きいわりに憶病で、人馴れせんし餌付けできない。観察を始めてからずっと、三百羽ぐらいで推移してたのが、七〜八年前に二年ばかり百羽ほどに減って、心配しました。その後持ち直して、今年は二九八羽。こないだ一時的に来た奴があって、三七〇羽でした。

 問題はこの二十年ぐらいのあいだに、生息域が狭まって来ていることです。山東町の三島池がまずだめになり、浅井町の西池へ朝7時半頃に入って、昼間の休息場所にしていたんですが、琵琶湖でずっと過ごす数が増えてきました。以前は、北端の塩津浜や葛籠尾つずらお崎から、南はびわ町の早崎あたりまでいたんですが、今は琵琶湖でもここだけです。

 オオヒシクイは、九月二十日ごろにやってきて、十月一杯ぐらいは、名まえのとおり、ヒシを食います。この頃のヒシは手でつぶせるぐらい柔らかいんです。十一月になるとけっこう硬いけど、ビデオに撮って見ると、口の中で「ころころころころ」させて、それから飲み込む。喉で転がして、尖った針の部分を外すのかな、と思ったりしてるんですが。ヒシを食ってるときの糞は、紫色です。

 木の皮や地下茎も食いますし、マコモは大好物ですね。西池では去年植栽して貰ったんですが、全部食ってしまいました。(笑) また植えないといけません。

 オオヒシクイがいなくなったら、琵琶湖の価値も一ランク落ちます。BランクからCランクになってしまいます。

亀田■琵琶湖の鳥は、ここ十五〜二十年のあいだに、大きく変わっているようですね。数や生息場所の減っているものは、もちろん多いのですが、ここから正面に見える竹生島では、ご承知のとおりカワウが増えて、大きい問題になっている。こういう変化が、どんな環境の変化によって起こっているのか、また逆に、鳥のこのような変化が、周りの生物や人や環境一般にどんな影響をどれだけ与えるのか、そういった関係についても、もっと調べる必要がありますね。

水鳥は、琵琶湖だけでは

暮らせない

川那部■オオヒシクイやコハクチョウが、この近辺に主に来る理由は、何だと思われますか?

清水■この「水鳥公園」のある場所は、遠浅なんです。一キロ沖にでもエリが立てられるぐらいです。当然に、水生植物がたくさん生えている。水棲昆虫やプランクトンも多くて、魚も多いです。もう一つ大事なのは「安全」だということ。帯状ですが、ヨシ原がまだ残っていて、小さい島もある。人間と隔てるものがあるんです。

 それにオオヒシクイもコハクチョウも、餌は田んぼに依存しています。カモも夜は田んぼに上がって、落ち穂と二番穂を主に食うんです。湖北は去年は凶作で、一反あたり例年より二〜三俵少なかったので、この餌が少なかった。それに、稲刈りの後トラクターで田を起こすのが奨励されてます。そうすると、落ち穂を拾えるところは、四割弱ぐらいになる。

 鳥の降りる田んぼは、どうやら決まっているんです。そこへ行ってみるとじっさい落ち穂が多い。ひょっとしたら、最新式のではなくて、ぼろいコンバイン使っている人の田んぼかも知れない。(笑)私のように大ざっぱな性格の人の田んぼには、鳥が多いのかも知れないんです。

川那部■それは面白い。亀田さん、今度調査してみたら?(笑)

亀田■田んぼの一枚一枚によって、サギの仲間でもなんでも、利用のしかたは全く違いますね。前にドバトで調べたとき、一か所だけいつも来ている田んぼがありました。後で聞いたら、そこは前の年には、コムギを作っていた場所だったんです。

 こう言う調査も、もっと必要ですね。清水さん、お願いします。(笑)

清水■今の時期の二月は、落ち穂はなくなったので、コハクチョウもオオヒシクイもガン類も、転作田のムギについています。農家の中には、糸を張ったり、脅しの仕掛けを付けたりする人もいますが、連中は三月初旬には帰るので、それまではまだ、穂になる茎の出る前の状態なんです。この七〜八年、冬から春先に鳥のついていた所を、六月の収穫期に見に行っているんですが、収量減はあまりなかったんで、「食べてるのは葉っぱだけ、全然心配ない」と言ってきた。ところが今年は暖冬で、ムギの生育が早くて、(若いムギを見せながら)もうこんなに伸びている。私の今までの説明がくずれそうで、ちょっと心配です。(笑)

 水鳥というと、琵琶湖だけの環境を思う人が多いですが、湖だけではなくて水田にも依存している。水田は、人間の意志で、餌として残すこともできるんです。

川那部■そうですね。魚だって本来は湖とそのまわりとを行き来していたのですから。

亀田■湖と陸地とは、密接に関係しているということを、最近ますます痛切に感じています。そうしたことを誰にも判るように、示していくのも研究者のつとめだとも。

「鳥か、人間か」ではなく

川那部■カモは以前は、つるにとりもちを塗り付け、夜間水面に延縄のように張りめぐらす「もちばえ」で、漁師さんが獲っていましたね。私は、鳥でも何でも動物は、ある限度内で人間も分けまえを頂く、おこぼれにあずかるのが健全だし、それが自然保護の心情的基盤だとも、思っているのですが。

清水■私は「愛鳥家」といわれるのは、嫌なんです。

 「人間か動物か」いうたら、誰でも人間の生活を取りますね。ムツゴロウでもイヌワシでも、それは頂点となっているシンボルであって、その下の部分が人間にとっても大切だと思います。「鳥か、人か」ではなくて「鳥も、人も」の視点で考えないとと思います。

 有害駆除も、ある程度はしなくてはいけない。いや、人間がこれだけ手を加えてしまった段階では、駆除が保護のためにも必要な場合があります。

 うちのおふくろが一生懸命作った畑を、イノシシやサルに全部やられてしまったことがありまして。自然保護の話は、こういうときにおふくろを説得するところから、始るんやと思ってます。(笑)

鳥の「職人」になる

清水■最初にも申しましたように、全国でも私のような立場のものは、まだ少ないんです。県へ今、鳥獣保護センターの設置を要望していますが、建物よりも先に、例えば獣医さんで、鳥獣保護行政にものがいえる人間が、自然保護課の直轄として必要だと思っています。

 私は二十七年間、ブラウン管を作る特殊な機械の保全をやってきたんですが、機械のメンテナンスでも経験、「かん」のものをいう部分があります。鳥についても、そういう叩き上げの職人になりたいという、それが夢なんです。

亀田■地元で、ずっと経験してこられた、そういう基盤のうえの「かん」とか知識とかは、いわゆる専門家の調査資料と同じか、いや、それ以上の価値があります。特に、生きものや自然に関しては、じかに接してみないと判らない部分が、たくさんありますから。このごろ自然を考えるときに、「伝統的な知識の集積」が必要だと、方々でいわれているそうですが、本当にそう思いますね。

清水■知り合いからは、「お前、好きなことで飯が食えてええなあ」ってよくいわれるんですけど、この職についてから、現場へ出る時間が却って、うんと減ってしまいました。それに、仕事と趣味の境がないのは、意外に辛いもんで、楽しみが苦痛になって来たというか。本職になって来た、証拠かも知れませんが。(笑)

川那部■楽しい話を有難うございました。ご活躍を期待しています。

(一九九八年二月十七日)

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