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琵琶湖博物館研究顧問
嘉田由紀子

特集

水辺の100年を写真で語る
−たかが写真,されど写真−




















なぜ、写真なのか?2組の洗濯光景から


写真1 レマン湖岸
/1900年頃 C.P.N(ポストカード)/レマン湖博物館所蔵
/2001年2月14日 イブ・ブサー撮影/レマン湖博物館所蔵


写真2 マキノ町海津
/撮影年月日不詳 石井田勘二撮影/今津町教育委員会収蔵
/1997年6月24日 古谷桂信撮影/琵琶湖博物館所蔵


 マラウイ湖岸水汲み光景
上/1946年 ロー・ロウ-マッコーネル撮影/琵琶湖博物館収蔵
下/1997年10月 嘉田由紀子撮影/琵琶湖博物館収蔵


写真4 マラウイ湖岸水汲み光景
上/1946年 ロー・ロウ-マッコーネル撮影/琵琶湖博物館収蔵
下/1997年10月 嘉田由紀子撮影/琵琶湖博物館収蔵


 ここに2組の写真がある。写真1と写真2だ。写真1では、スイスとフランス国境にあるレマン湖岸のベベイという町の湖辺での女性たちの1900年頃の洗濯光景と、その同じ場所、同じアングルでの100年後の光景を比較している。1900年の写真では6人の女性が大量の洗濯物を洗濯板にこすりつけて、洗っている。足もとがぬれないように大きな樽のようなものにはいって作業をしている。土地柄から、これはワイン作りの樽だろう。100年後の同じ場所は、大きな波よけの石が積まれ、人が近づける場ではなくなっている。水道が普及した今、洗濯を湖岸でする必要はない。今、この湖岸にたって、100年前の女性たちの洗濯光景を想像できる人はまずいないだろう。
 写真2は、琵琶湖の北部、今のマキノ町海津の昭和初期(1930年代)とその70年後、今の海津での、同じ場所同じアングルの比較写真だ。昭和初期の海津で洗濯をする女性たちも、衣服の裾がぬれないように、タライにはいって洗濯をしている。ワイン樽とタライという違いはあるものの、レマン湖の女性たちの洗濯と同じような工夫をしていることがわかる。琵琶湖とレマン湖の洗濯光景に共通する、裾をぬらさないという生活上の工夫が、直接に伝播したとは考えにくい。このような生活の知恵は、独立的に発生したといえるだろう。
 一方、かつての琵琶湖では、レマン湖とちがって、湖中につきだした木の板(地元ではハシ、あるいはサンバシと呼ぶ)をかけて洗い場としていた。地元の人たちの話しによると、このサンバシでは洗濯だけではなく、早朝には飲み水をくみ、米を洗い、鍋釜を洗い、日が高くなれば洗濯をしていたという。サンバシの下には、たくさんの小魚がいて、鍋釜から出るご飯粒などに食いついたという。小魚がたくさんいたことが、洗い場付近をきれいに保つ生態的システムをつくっていたのだろう。今、海津付近では、水道がはいり、湖岸での洗濯は減った。しかし、サンバシはまだ残っていて、野菜洗いなどに利用されている。

風景から社会的仕組み、人びとの精神を辿る

 この2組の写真からは、洗濯物の性格も推測できる。レマン湖では、大量の洗濯物がある。これは、個人の家単位でというよりは、商売として洗濯女性がいたのではないか、という洗濯の社会的背景を想像させてくれる。レマン湖あたりでの洗濯の歴史を調べてみると確かに「洗濯女」という人びとが専門職としていたという。
 日本、ヨーロッパから、次はアフリカに飛んでみよう。写真3には、1946年のアフリカ、マラウイ湖岸、パームビーチという村での水汲みの光景と、その同じ場所、同じアングルでの水汲み場面を示した。1946年の水汲み道具は土器で、女性の衣服は、無地の一枚布だ。50年後の1997年、同じ場所を発見できた。女性ふたりが水汲みをしていた。ひとりは土器の水くみ用具を頭上にのせているが、もうひとりはブリキのバケツだ。衣服も、柄ものがはいり、洋服もはいった。ブリキのバケツも衣服も植民地時代にヨーロッパ人がもちこんだ新しい文化だ。
 アフリカの湖岸の昔を辿ることができる写真はたいへん少ない。しかし幸運にも、マラウイ湖辺の1940年代の生活写真が、イギリスの女性魚類学者、ロー・ロウ-マッコーネルさんの手によって150枚ほど残されていたのだ。その写真をもって、現場歩きをしたものが写真3だ。
 写真4には、同じくアフリカマラウイ湖岸で、砂を掘って水をくむ女性たちの姿をしめしている。上は1946年の写真。ローさんの話しによると、水位が下がり、湖岸線が後退をして水汲みが遠くなると、女性たちは砂場を掘って、水を汲んだという。砂を掘るほうが水質もよいという。同じように砂場を掘って水を得る工夫は、今でもマラウイでは生きている。写真4の下にはその光景を示した。
 写真5には、アフリカ、マラウイ湖岸の今の洗濯風景を示した。電気も水道もないマラウイ湖岸では、洗濯も食器洗いも、湖の水が直接つかわれている。飲み水も汲まれる。洗濯をする時、裾がぬれることを気にする人はなく、湖に直接はいりこんで洗いものをする。水にぬれても拭くという行為もほとんどみられない。水にぬれることをそのまま楽しんでいる。湖岸には樽もタライもサンバシもない。しかし、数十メートル毎に、大きな石がおかれていて、洗濯物のたたき洗いや、足裏みがきや、刃物研ぎに使われている。水辺の施設としては万能の石だ。

「記憶の場」を再現

 日本の琵琶湖、ヨーロッパのレマン湖、アフリカのマラウイ湖。それぞれの湖辺で人びとがいかに水とかかわってきたか、実は、その歴史を生活の現場に即して辿り、比較することができる資料はほとんどない。特に私たちがこだわって探そうとしたのは、風景としてのモノの世界の背景に、どのような社会的意味づけがあり、そこにいかなる感性が隠されているか、ということを辿ることだった。
 人類は水なくして暮らすことはできない。人びとは、いかに水を得るか、そしてその水をいかにうまく活用するか、さまざまな水の文化をつくりだしてきた。そして水辺の風景を生みだしてきた。その中で、水への思いや感性が育まれてきたはずだ。そんな状況の中で、生活に密着した写真は、人びとの無意識の水への感性と場にかかわる記憶を示しているともいえるだろう。感性までたどることが地域の人たちの望みによりそった政策にもつながる。写真が発するメッセージは深い。たかが写真、されど写真である。これらの比較写真から皆さんは、どんなメッセージを得るでしょうか。

世界水フォーラムにむけて

 21世紀は水の世紀ともいわれている。ふりかえってみると20世紀は石油が発見され、車が実用化され、道路がひろがり、水辺の風景も大きく変わった。水道も普及し、下水道もひろがり、人のし尿までも水に流して、水を管の中に閉じこめてきた時代でもあった。そしてモノとしての水の資源的な価値だけが強調され、それを金銭にかえて、水の商品化が今、進もうとしている。水1リットルに石油1リットルよりも高いお金を払っても不思議に思わない人も増えてきた。
 そんな20世紀をふりかえって、21世紀、私たちは水とどのようなつきあいをしていったらいいのか、地球規模で新たな知恵が求められている。今、上水道や下水道を使える人口は、62億の地球人口のうち半数以下しかいないと推測されている。日常の飲み水さえ入手しにくい人口が12億人もいる。写真3のアフリカのマラウイ湖辺のような暮しは決して過去のもの、遅れたものとは言い切れない。今、この同時代を生きている人びとの水辺の暮しである。
写真5
 マラウイ湖での洗濯の光景
 嘉田由紀子撮影
 2003年3月には、「第3回世界水フォーラム」が、京都、滋賀、大阪の琵琶湖淀川水系を舞台に開催される。世界各地から1万人ほどの水にかかわる専門家、行政マン、NGOなどの人たちが参加する予定だ。会議をひらいて何が変わるのか? 懐疑的な人もいるでしょう。しかし、水不足、水汚染、水害などの現代的な問題にくわえ、水の文化や水と生態など、さまざまな水にかかわる現状とその歴史をまず共有することが必要ではないだろうか。その上で、人類としていかに水とかかわっていくのか、知恵をだしあう必要がある。  琵琶湖博物館では、水フォーラムの開催にあわせて、百年に及ぶ近代化の中で、水辺の風景や生活がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのか、ここで紹介したレマン湖、マラウイ湖、琵琶湖にくわえ、セーヌ川、アメリカのメンドータ湖、などの今昔比較写真の展示会を開催します。またそれぞれの水辺で使われてきた生活用具などもあわせて展示をします。琵琶湖博物館が世界各地の博物館や大学と協力して収集、撮影してきた貴重な資料です。
 モノとしての水辺には、社会的な出来事や社会的仕組みが隠され、さらにその背景には、ココロとしての水の意味も潜んでいる。皆さん自身で展示をご覧いただき、世界の水辺変遷の意味を追い求めてみてください。企画展示室でお待ちしております。




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