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●研●究●最●前●線●

よそ者だから悪いのか?
 〜悩ましき「外来種問題」を考える〜

主任学芸員  中井 克樹(魚類生態学)

 一九九二年、琵琶湖博物館準備室に勤めはじめて以来、私は琵琶湖の外来種(移入種)のオオクチバスとブルーギルの生態を調べてきましたが、ここ数年、『外来種問題』に深入りし、ほとんど毎日のようにこの悩ましき問題に振り回されています。
仔を保護中のオオクチバスのオス。撮影者を追い払おうと威嚇している(西浅井町の琵琶湖水中、2000年5月)。
 最近、特定の外来種が引き起こす問題やそれを駆除する動きが、よく報じられるようになってきました。ところで、なぜ外来種が駆除されるのでしょうか? それは、その外来種が看過できない(場合によっては取り返しのつかない)影響を、在来種や生態系、あるいは地域の人々の生活に与えるため、それを現場から排除することが緊急の課題であるとみなされるからです。
 琵琶湖にいる外来魚のなかで、オオクチバスとブルーギルが積極的に駆除されるのも、この二種が在来種に決定的に大きな影響を与えていることが明白だからです。また、その一方で、かつては絶滅が心配されるほど減少しながら今では増え過ぎてしまった水鳥のカワウも、生態系や漁業への影響が見過ごせないとして、在来種にもかかわらず、駆除されています。在来種の場合、増え過ぎた原因を取り除くことこそが、問題の根本的な解決であるのはもちろんですが、それは緊急的措置としての駆除の必要性を否定するものではありません。このように在来種も駆除の対象となることを考えれば、特定の外来種が駆除されるのは、「よそ者だから」という排外的な思想に基づくものではなく、あくまでも「自然環境(生態系/生物種)や地域住民の生活を守る」という、保護・管理の思想に根ざしていることは、お分かりいただけるかと思います。
 それでもなお、生物を排除する現場では、「保護」か「愛護」か、という対立が生じることがあります。愛護の立場は、駆除される生物の個体の生命が奪われる点をことさら問題視するわけですが、保護の立場は、愛護の精神に背くことに心を痛めながらも、駆除される生物によって打撃を受ける側の生物の個体の生命だけでなく、その種の存続、さらにはその種を含めた生態系全体への侵害的な影響を心配しているのです。
エリ(定置網)にかかるのは大部分がブルーギルとオオクチバスになってしまっているところが多い(守山市沖のエリ、2001年8月)。
 このような事情を考えると、保護と愛護との対立は、保護の方に分がありそうですが、事はそれほど単純ではありません。愛護の立場からは「生き物(しばしば身近なかわいらしい種)が、わざわざ人の手で殺される」という生々しい光景を容易に思い描くことができます。それに対し、保護の立場に立って、「影響が心配される種(しばしば一般には存在すら知られていない生物)が、目に触れないところで深刻な打撃を受ける」ことを想像するのは簡単ではありません。そこには、適切な知識と論理的な思考に基づいた理解が必要とされるのです。おそらくはこうした情緒的な背景から、往々にして「かわいそう」という愛護の感情が、「守らなければならない」という保護の理屈を押しやってしまうのかもしれません。
 保護と愛護とは本来的に相反する問題ではないはずです。私たちは、現在、外来種がもたらす生態系のただならぬ変化に直面していることに気づき、それが「負の遺産」となることを理解しはじめています。将来の世代のために賢明な選択が求められていることは、間違いありません。
 かように厄介な問題を抱えた外来種が、平成十五(二〇〇三)年度の琵琶湖博物館企画展のテーマです。これまでにも増して、思い悩む日々が続きそうです。




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