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研究顧問
嘉田由紀子

特集

[Lakes of the world and the lives of the people around them.]

世界の湖と人びとの暮らし―世界湖沼会議を前にして―



1 なぜ世界に目を?

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イスラエルのキネレット(ガリラヤ)湖:湖で遊ぶ人々

 「水の中にいる魚には水がみえない」という言い方があります。目のまえにあることはあたり前すぎて当事者には意識されにくい。とはいえ魚自身が幸せに暮らし、あえて水に問題がなければ、自分たちの周囲の水をあらだてることもないでしょう。でも周囲について問題がある、と意識した場合、やはり水そのものの意味について深く考え、改善することが求められます。
 二〇〇一年十一月十一日から十六日まで、大津を中心に「第九回世界湖沼会議」がひらかれます。まさに、滋賀県民という魚にとって自分たちの住む水がどんなものなのか、世界的視野の中で位置づけるための機会でもあります。
 人類はこれまで、貧困問題、平和問題…さまざまな社会問題をかかえてきましたが、環境問題はこれまで人類が経験したことのない問題です。しかも社会問題であるばかりでなく、自然の問題でもあります。もし琵琶湖で、湖と人間がうまく共存できたら、それは世界に対して先例となるユニークな経験にもなるのです。
 なぜ琵琶湖が世界に対してユニークな存在であるのか。それは琵琶湖が古い歴史をもちながら、近代的な役割をもになっているという複合性にあります。今回は、世界の湖との比較の中での琵琶湖のユニークさについて解説をし、世界湖沼会議への案内とさせていただきます。

2 進化の展覧会場としての古代湖
   −琵琶湖もその仲間−

 湖は、自然の状態でしだいに埋まっていきます。湖の命は長くて数万年といわれますが、その中でも何十万年も埋まらずに水の塊でありつづける湖のことを「古代湖」と呼んでいます。この名前は特に、生物の研究者の間で使われていました。つまり湖の寿命が長いことを「独自に生物が進化をとげるほどに十分に寿命がながい」という意味として考えたのです。ですから、「何万年以上が古代湖」という定義はできません。ただ、おおまかなめやすとして一〇万年以上、という言い方をする研究者もおります。
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アフリカのマラウィ湖:湖畔で遊ぶ子供たちアフリカのマラウィ湖:湖岸での魚干し
 アフリカにマラウィ湖(ニャサ湖)という古代湖があります。この湖では、独自に進化をして魚の種類が八〇〇種ほどに増えてきたのだ、ということがわかってきました。その土地で独自に進化してきた種を「固有種」と呼びます。また、タンガニーカ湖は二〇〇〇万年ほどの間、水の塊であり続け、そこで三〇〇種以上の固有種が発見されました。
 琵琶湖については、三重県の大山田にあったのが、数百万年前といわれていて、そこからは、現在のビワコオオナマズの先祖と考えられる化石がでています。今の形になったのが、四〇万年ほど前ということですが、その間に、琵琶湖に固有の魚が進化をとげました。ニゴロブナ、ホンモロコなど、一〇数種類の魚が琵琶湖の固有種です。琵琶湖で特色があるのは、カワニナという貝で、琵琶湖で独自に進化したものと言われています。
 琵琶湖の魚の特色はその生活史にあります。沖合の深いところで成長をするのに沖合で産卵をする種はなく、湖岸や流入河川で産卵をする種ばかりです。つまり、琵琶湖の魚は人間に近いところで、繁殖する生き物だということです。


3 多様な湖沼文化が生きている文化的古代湖
   −定住の暮らしの証−

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洞庭湖:洞庭湖で行われている定置網漁

 魚や貝の種類からいえば、琵琶湖の固有種はマラウィ湖などと比べるとその数はあまり多くありません。では琵琶湖は何がユニークなのでしょうか。琵琶湖では、多様な生物の世界にあわせて人間が多様な文化をはぐくんできた、という「文化的多様性」があげられます。その象徴がフナズシです。フナズシは琵琶湖で固有に進化をしたニゴロブナを使います。ニゴロブナが産卵のために、湖岸のヨシ帯や水田、水路などにはいってきた時期をねらって魚をつかみ、それを湖岸の水田でつくられたお米の中につけこみます。半年以上もねかせ、乳酸発酵をさせてから食べます。フナズシは、お正月のご馳走など、家族の中で利用されるだけでなく、集落のお祭りの神饌(神さまへのお供え)にもなります。
 今、私自身はひとつの仮説をもっています。琵琶湖での湖沼文化の継続性をささえてきた要因のひとつに、人びとの「定住意識」があるのではないか、と考えています。フナズシのようなものが何百年も家庭や地域で受け継がれてきたのは、人びとの「定住性」にあるのではないかと。日本の家も村落も直系家族制度をもとにその「永続性」が社会組織の原理といわれています。今でも私たちの考え方のなかにある「長男」「あととり意識」は日本的家族制度の現れでもあります。それは村落共同体の安定性にもつながりました。
 琵琶湖辺のある地区で一軒一軒の先祖をたどるという研究を行ったことがありますが、明治時代はもとより江戸時代までたどれる家が七割をこえていました。特に江戸時代以降は「定住性」が高く、そのような社会的特色が、たとえばフナズシのような食文化を今に残しているひとつの要因とも考えられます。


4 近代化の中で
   −水ガメ論の出現とそれからの脱却−

 琵琶湖そのものを人間自身が管理をしようとした始まりが明治三八年に完成した南郷洗堰です。また水そのものが飲用水として目をつけられた最初の出来事は、明治四五年に完成した第二琵琶湖疏水です。そのような水資源としての価値は、昭和三〇年代の高度経済成長期以降、たかまっていきます。今、近畿圏の約一四〇〇万人の人たちが琵琶湖の水を飲み水として利用しています。琵琶湖は世界的にみても、最も大きな水資源のひとつです。それゆえ、昭和四〇年代に始まった琵琶湖総合開発以降、琵琶湖は「水がめ」とよばれるようになりました。そこで、いかに効率的に水を下流に送るか、という計画がたてられました。
 近代的な科学技術の恩恵をうけて、私たちの物質的生活は豊かになり、洪水などの危険も減りました。だが、思いもかけぬさまざまな破壊が今進みつつあります。

5 湖と人間のかかわりの総体をもとめて
   −世界湖沼会議でのねらい−

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ティティカカ湖(ペルー、ボリビア):トトラ舟での刺し網漁

 二〇〇一年十一月に開催される世界湖沼会議は、もともと琵琶湖からはじまったものです。一九八四年に当時の知事の提唱ではじまりました。二年に一度づつ開催され、今回琵琶湖に「里がえり」をしてきました。
 今回の会議の特色は三点あります。
 ひとつは、「里がえり会議」であり、滋賀県にとっては、一九八四年当時の問題がいかにその後の努力により改善されているか、という「自己確認の場」でもある、ということです。それは「自己反省の場」でもあるでしょう。
 二点目は、その自己確認と並行して、「自然と文化の多様性」「環境問題を単に自然の問題と考えない」というテーマの拡大です。これまでの湖沼会議では、水質汚染問題や生物多様性問題が中心でした。今回もこの分野での発表が多いのですが、そこに「文化と文明としての湖」の問題をはじめてとりあげました。  三点目は、研究者、行政にくわえて、企業、住民の参加が多いということです。また、子供たちも参加します。七月時点での発表予定者は七四ヶ国、八六八件ですが、そのうちわけは、研究者四四八件に続いて二番目に多いのが市民・住民の二〇七件です。続いて行政一五二件、企業六一件となっています。特に琵琶湖周辺からの住民の人たちの発表が目立ちます。
 一九八四年の会議に私自身も参加しました。しかし一九八四年の湖沼会議では、住民としては石けん運動の発表が主でした。
 今回の会議では、琵琶湖本来の住民である琵琶湖の漁師さんや、主婦の方たちの生活や研究にかかわる発表も目立ちます。このような発表者のひろがりは、とりもなおさず、過去十四年の琵琶湖へのまなざしの広まりと深まりでもあります。
 総体としての湖とのかかわりを取り戻すきっかけとして、湖沼会議を位置づけることができたら、そこから二一世紀の新しい時代にむけた琵琶湖保全のあり方が、国際的な視野の中から生まれてくることでしょう。

写真提供■牧野久実/脇田健一/芦谷美奈子/嘉田由紀子


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