いつごろ どこで どんな様子でしたか 年齢
昭和10年〜
戦前まで
野洲町
大篠原の
ため池
少年時代(15〜16才)に、よく遊び目的でため池に浮かんでいた田舟を漕いだ。この田舟はコイにエサをやるための船であった。田用水としてため池は利用されていたが、それだけではもったいないのでコイの養殖をしていた。秋になって樋を抜き、太ったコイを村中の者が採りに行った。現在、コイは池にいるが、水も随分汚れ、家庭雑排水が流れ込むため、魚も臭く、食べる人もいるにはいるが少ない。田舟は2〜3人乗り。 73才
戦前まで 野洲町
小南
(日野川と
天井川、
家棟川
の間)
ひと雨降ると家の前まで水がついた。稲のはさがけなどに舟を使った。今も舟は持っている。こんな所なので、ため池や竹薮が家の周りにあった。今は竹薮も氏神様の周りぐらいになり、圃場整備で現在は機械が使えている。
昭和18年頃 野洲町
中洲
女学校の勤労奉仕で中洲村へ行った。野洲町で非農家だったので、農家の手伝いに行かねばならなかったとき、そんなに広くない川に田舟が浮かんでた。ボートの代わりに乗るものかと思ったら、田んぼへ行くとき人も道具ものせて運ぶのだと友達が言っていた。 68才
昭和23〜25年頃 野洲町
中洲
秋の採り入れを手伝いに行ったとき、現在の農道の場所には堀があって、そこを田舟で田んぼへ行き、帰りは籾を乗せて、堀の土手を綱で引きながら帰った。収穫の籾を乗せる通路であったように聞いた。その水路は琵琶湖まで続いていたとか。 72才