いつごろ どこで どんな様子でしたか 年齢
昭和10年前後 安曇川町 当時は道が整備されていなかったので、船が川を往来していた。脱穀した米を主に運んだが、人の交通手段でもあった。船は、丁度、展示にある川船位の大きさだった。また、大溝港(?)から浜大津の港まで、エンジンを付けた船が各港を経由して航行していた。 70才くらいの男性
昭和10年頃 安曇川町 Kさんという方が、田舟を作っていた。子供の頃聞いた、船釘を打つリズミカルな音がなつかしい。 70才前後の女性
昭和10〜20年まで 安曇川町 昭和16〜19年、太湖汽船の定期船でマキノより浜大津まで各港に寄りながら約5〜7時間かけて行った。長さはほぼ丸子船くらい、幅は丸子船の2倍くらい。定員40〜50人で荷物も乗せられる。乗務員は4〜5人。杭が40〜50cm。湖から見ていたら、これが船駅だったことが分かる。 68才
昭和12年 安曇川町 昭和12年の夏、多景島の西方より大津へ向かう丸子船を見ています。帆を大きく風で膨らませ、湖上を悠々とゆっくり走る丸子船に目を見張りました。 71才