専門分野 生態学
現在のテーマ 社会と群集の生態学 文化多様性と生物多様性との歴史的関係
少しまじめに言えば・・・
また同じく1950年代に、競争的な「食いわけ」と「棲みわけ」を明らかにしたことは、相互作用による生態的地位の変化についての実証的な研究であり、生態学のその後の発展に大きく貢献したと評価されているとも聞いています。
それはともかく、1970年代後半からはアフリカ大陸中央にあるタンガニイカ湖などで、国際共同研究を進めてきました。その中で共同研究者とともに見つけてきた、摂食と繁殖の双方における「競争的協同」ないし「協同的競争」の現象は、その後多くの生きものでその存在が明らかになりました。そしてこれは、それまで広く認められてきた「競争的排除則」を越えるものとして、これまた一部では評価されているようです。
これらをも含めて、生きものの間の関係は、「あれかこれか」と言うようなものではなく、むしろ相対的かつ曖昧なものであると、本人は考えています。
さらに、国内的にも国際的にも地域主義的な発想が極めて大切だと強く思っており、従ってとくに国際的な共同研究においては、「当該地域の人々が調査の主導役を果し、さまざまな決定はその地域の人々が行うべきだ」との考えのもとに、現地の研究者に対する助言者の役割に徹することに努めてきたつもりです。
「生物間の関係の総体」の研究こそが重要だと、50年近くも言い続けてきたわけですが、最近の生態学の国際的流れはこの方向にかなり近づいているようで、いささか満足しているところです。「生物の多種共存機構を促進する相互作用機構」すなわち「地球共生系」の共同研究に引き続いて、「生物多様性を促進する生態複合」すなわち「共生生物圏」の共同研究をも進め、国内的には2002年3月に一応終わりましたが、国際共同研究はさらに続いています。最近その一部が、『生物多様性の世界ー人と自然の共生というパラダイムを目指して』(2003年、クバプロ)として、比較的判りやすいかたちでまとめられました。
1996年4月に琵琶湖博物館に来てからは、従来からの「生物間の関係の総体」を拡張して、「湖と人間の関係の総体の歴史性」を自分なりに考え直してみています。そして、「古代湖は生命文化複合体」などと、奇妙な用語を口走ってもいます。
いくつかの単行本を含めて、書いたものなどについては、別項を見てください。もう数年前のことになりましたが、生来の「食い意地っ張り」を地でいった『魚々食紀:古来、日本人は魚をどう食べてきたか』(2000年、平凡社新書)や、琵琶湖博物館に関係した多くの人の執筆による『博物館を楽しむ:琵琶湖博物館ものがたり』(2000年、岩波ジュニア新書)など、気軽に読んで頂けるかもしれません。
なお、『日本の魚類生物学:川那部浩哉に捧げる』(1998、英文)や『川の自然を残したいー川那部浩哉先生とアユ』(2000)などを頂戴しましたが、これは光栄に思うと同時に、いささか恥ずかしい気も致しております。
1955年以来、アユの社会構造や川や湖の魚の種間関係を、おもに調べてきたつもりです。京都府北端にある宇川の魚については、このときから現在まで、毎年(60年代と80年代とに1回づつ抜けている年がありますが)調査し続けてきました。その初期に、アユの成長や数の減少など生物生産の動態が、その社会構造によって変化することを見つけ、また1970年代には、アユの社会構造を含むいくつかの生態的現象に関する、進化史的な意義についての仮説を提唱しました。他人の評価してくれたところでは、これらは行動生態学や進化生態学のごく最初の業績として、その後のこの分野の発展に寄与したもののようです。
ひとりごと
日本列島各地のほかでは、アフリカのタンガニイカ湖に、比較的長く行っていた。京都府北端にある宇川では、1955年以来2年休んだだけで、毎年潜り続けており、本人はその愚直さをひそかに誇りにしている。
1980年代後半からは、自分で調査研究をするだけではなく、京都大学生態学研究センター設立など、研究組織を作る仕事にも携わざるを得ない羽目に陥ってしまい、個人で行う研究活動自体はかなり減ってしまった。たいへん遺憾に思っている。国際的には、「生物多様性国際研究計画」に携わり、その「陸水生物分科会」の立ち上げを行うとともに、同じく「西太平洋・アジア地域ネットワーク」などにも関係させられてきた。
以前から、「自宅では本職の仕事はしない」ことを信条にしてきた。それでは、自宅では何をしていたのか。仕事に関係のない本を乱読し、多くの人の辟易するような音楽を聞き、あとは、何もして来なかったというのが実情のようだ。
琵琶湖博物館は、自己流に言えば、「湖と人間とのあいだの関係の総体を歴史的に見て、今後の自然とのつきあいかたやそれぞれのくらしを各自に考えて貰う」のが目的の組織である。したがって、「関係の総体」を標榜してきたものにとっては、ある程度「場を得ている」といってよいだろう。「生物間の関係の総体」から「湖と人間とのあいだの関係の総体」へと、拡げればよいのだから。
そういう意味で、「文化多様性と生物多様性のあいだの関係」などと言い出し、それをみんなで調べようなどと言っている。琵琶湖博物館館員諸氏は、こうして、大いに迷惑をかけられているに違いない。
京都大学を45年かかって「卒業」した。そのあいだもっぱら、淡水魚を中心に生物間の関係を扱ってきた。また、「関係の総体こそが重要」などと口走って顰蹙を買ったのは、大学院終了時の1960年のことである。
{開館5周年シンポ開催}
-------------------{淀川水系流域委員会発足}------------------