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研究成果の公開

○ 播磨国矢野庄河成データベース:エクセル(1,170kB)

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○ 利用方法:PDF(101kB)

播磨国矢野庄河成データベースについて

2015年3月6日

滋賀県立琵琶湖博物館 研究部 環境史研究領域

専門学芸員 橋本道範

1.はじめに

日本史の教科書を読めばわかるとおり、人間の歴史を考えようとするとき、これまでは自然の変化という要因はあまり重視されてこなかったように思います。人間の歴史は人間が主体的につくるものだと確信されてきたからです。しかし、大地震や大洪水など現実の大災害はそうした見方を大きく変え、自然との関わりのなかで人間の歴史を捉えようとする環境史という試みが始まっています。

そこで、「湖と人間」をテーマとする琵琶湖博物館では、2002年、自然とその一部である人間との関係性がどのように変化したのかについて研究する環境史研究領域という文理融合型研究組織を立ち上げ、各専門分野を越えた研究を続けています。今回公開する「播磨国矢野庄河成データベース」もそうした試みの一つとして製作したものです。

2.河成とは

河成(かわなり)とは、「洪水などによって流出・崩壊して耕作不能となった荒地」のことであると一般的には説明されています。しかし、これは厳密な定義ではありません。中世は、荘園制といって、耕地に賦課された税(年貢・公事)が都市にいる領主のもとへと集まるシステムになっている社会でした。そして、税が賦課される耕地は、一枚の田んぼや畠ごとに、検注(けんちゅう)という作業によって登録されます。

では、耕地が洪水によって耕作ができなくなったとき、人々はどう対処したのでしょうか。それが河成認定という、税を負担するべき耕地を無税地へと地目変更するシステムです。したがって、河成というシステムの実態や変遷を解明すれば、湖沼や河川の流動や、水域と陸域との推移という自然が生み出す変化に耕作者や領主らがどう対応していたのかを明らかにできると考えました。

3.播磨国矢野庄

しかし、琵琶湖地域には河成の実態や変遷を示す史料は断片的にしか残されていません。

そこで、まず史料を豊富に残し、研究も蓄積されている東寺領播磨国矢野庄から河成データベースを作成することとしました。

播磨国矢野庄は、兵庫県の矢野川下流域に成立した庄園(領主の領地)です。現在の相生市にほぼ相当します。成立までの事情は詳しくわかりませんが、保延3年(1137)鳥羽上皇に深く愛された美福門院(びふくもんいん・藤原得子)の庄園として成立します。田畠約163町に野地が付属した大きな荘園です。

矢野庄はその後、いくつもの領域に分割されていきます。そして、その一部、例名(れいみょう)の領家職(りょうけしき)が正和2年(1313)に後宇多法皇により東寺に寄付され、さらに、文保元年(1317)には別納分(べちのうぶん・那波浦・佐方浦)と例名内の重藤名が追加されます。これが東寺領播磨国矢野庄の成立です。東寺の支配はすぐに安定するわけではありませんが、支配が終わる室町時代後半まで、東寺には矢野庄に関わる詳細な記録が残されており、そうした史料を利用して、河成データベースのモデルを作成することにしました。

4.謝辞

本データベースは、勅使河原拓也氏(京都大学大学院文学研究科)によって作成されたものです。また、資金については、科学研究費補助金基盤研究(C)「日本中世における「水辺移行帯」の支配と生業をめぐる環境史的研究」(研究代表者橋本道範、2011年度~2014年度)を利用しました。

なお、本データベースを利用して成果を公表される場合、その旨を本文中に明記し、プリントアウト1部を琵琶湖博物館の橋本までご送付いただければ幸いです。

主要参考文献: